伊苅弘之

感謝されることを期待せずお役に立てることに感謝を
福祉村病院副院長
いかり・ひろゆき

伊苅弘之

今回は、福祉村病院・副院長の伊苅弘之先生にお話を伺いました。長年にわたり認知症治療を専門とされてきた伊苅先生が最優先しているのは、患者さん一人ひとりとじっくり向き合い、最も適切な治療方法を探ること。このような真摯な取り組みができるのは、福祉村病院という特別な環境があるおかげだといいます。医師としての伊苅先生の在り方、そして認知症治療への思いについてお聞きしました。

さわらびグループとはご縁があったとのことですが、経緯を教えてください。

さわらびグループとの縁は、私が名古屋大学医学部老年科に入局したときからで、山本孝之理事長は、当時できたばかりだった老年科教室(現・老年内科)の先輩にあたります。

入局時にはすでに山本理事長は福祉村病院を立ち上げていましたので、大学でお会いすることはありませんでした。ですが、週に1度は、福祉村病院に当直や勤務のために訪れていたのです。大学の研究者すら認知症についてよく知らない時代でしたから、はじめは「何してるの?」と驚きましたよ。しかし、認知症のことを勉強していくにつれて、時代を10年以上先取りしているような取り組みをされているということがわかったのです。

具体的にいうと、「痴呆療法士(注:当時の呼称)」と呼ばれる専門職を独自につくられ、その方々が患者さんのお世話をしていたこと。アクティビティプログラムや音楽療法、リアリティ・オリエンテーション、回想法など、現在では当たり前のように実施されていますが、当時はそのような認知症の非薬物療法を実施している施設などなかったのです。当時から福祉村病院ではパーソンセンタードケアが普通に行われていたのです。さらに、臨床データを確保できた患者さんの脳を研究に役立てるためのブレインバンクを立ち上げています。これも驚くべき先進性でしたね。

担当する病棟の患者さん60名に対してはもちろん、そのご家族とも真摯に向き合う先生。非常に丁寧な説明を行う。

初めての著書に関して山本理事長との思い出があるとのことですが。

今でもありありと思い出せるのは、初めての著書を山本理事長に差し上げたときのことです。後日、部屋に呼ばれ、お礼の言葉とともに、具体的にどの部分がよかったとか、この部分は私と見解が異なるなどと、実に丁寧なご感想を述べてくださり、そして、こうおっしゃいました。「このコラムが素晴らしい。すごいよ」と。

コラムのタイトルは、『感謝の言葉なんかいらない――与え続ける愛情の美しさ』です。

よくドキュメンタリー番組で医師が「患者さんに『ありがとう』と言われると、心から嬉しくて、やる気がでます」と言っておられますが、私の周囲では、介護者の方から感謝されることはあっても、認知症の方から感謝の言葉を聞くことはとても少ないのです。高齢者や認知症の方の診療を始めた医師から「誰も感謝してくれないし、張り合いがない。やる気がでない」という相談を受けたりしますが、その時には理事長から言われたことを伝えるようにしています。「感謝されることを期待せず、お役に立てることに感謝を」という言葉です。

この本が世の中に出るとき、私はまだ認知症の診療をする医師としては初心者であり、いろいろな勉強はしていたつもりでしたが、実際の診察の場面で、日々の診療の中でどのように進んでいけばいいか迷い、悩んでいました。理事長から「先生は40歳なのに、よくわかっている。高齢になり、認知症になり、困っておられる方を助けてあげて、幸せを感じて残された時間を暮らしていただけるお手伝いをすることが大切。先生の感じているとおりでいいよ。自信を持ちなさい」と褒めていただいたときには涙が出るほど嬉しかったです。その後は自信を持って診療にあたることができるようになりました。

伊苅先生から見たさわらびグループについて教えてください。

優れた点はたくさんあると思います。まずひとつは、とても若いスタッフが多いことです。ですから活気にあふれています。高齢者の施設では、介護者の年齢も高い場合が多いのですが、職員用の無料の保育園があり、若いお母さんが安心して働けて再び職場復帰できるからです。うれしい限りです。

さわらびグループは、病院(療養型医療施設)、老健、特養、グループホーム、ケアハウス、有料老人ホームなど様々な施設があり、グループ内において、その方の状態に合わせて、その方に合った施設を容易に選択できます。利用者にとってはたいへん便利な素晴らしい点になります。

EPA(経済連携協定)による外国人看護師・介護福祉士の受け入れ体制も整っています。EPA看護師、介護福祉士のみなさんは、厳しい選考を経ていらしたので、実にきちんと誠実に仕事をされています。この真摯な姿勢は日本人スタッフにもよい影響を与えていると思います。インドのクシナガラに造られたインド福祉村病院も非常に先進的でした(※1998年設立)。

大変幸運なことに、私は福祉村病院という環境のおかげで、認知症患者さんと理想的な向き合い方ができています。つくづく、自分は幸せだなぁと感じます。

福祉村病院での現在のお仕事内容について教えてください。

福祉村病院で常勤医になりましたのは20年前のことです。私には、「患者さんをちゃんと診療しながら、患者さんに役立つ、あるいは世の役に立つことを研究したい」という思いがありました。福祉村病院に勤務する前は、内部の事情でそれが思うようにいかない時期もありましたが、理事長は「自由にやっていい」と言ってくださって。

私は現在、主治医として福祉村病院に入院されている60名の患者さんを担当しています。毎週火曜日は終日、外来をしております。

外来診療では、欧米で行われている世界基準に沿って診察をしています。患者様に必要な知能検査やCT検査をして、ご家族から日頃の生活の様子を詳しくお尋ねします。日々の生活の仕方や介護者の対応により、認知症の悪化を遅らせれたり、暴言や幻覚など認知症の行動・心理症状を減らすことができるからです。外来診療では、認知症の方の状態を診察しますが、治療者である介護者の方に対して生活環境を調整し対応の仕方を変えるように教示させていただいています。このような診療をするのが世界基準なのですが、それを実行すると時間がかかります。初診で2~3時間、再診でもご相談が多いと30分から60分かかります。日本の医療システムでは全く収益にならないのですが、理事長からご許可いただいているので認知症の方の理想的な診療が可能となっています。

医療業界における高齢者医療のレベルの低さを感じているという伊苅先生。個人を尊重し、その人の視点や立場を理解しケアをするパーソン・センタード・ケアの啓蒙が必要だという。
伊苅弘之(いかり・ひろゆき)1957年4月25日生まれ。愛知県名古屋市出身。日本老年医学会・日本老年精神医学会の専門医・指導医。『認知症ケアあなたならどうする―症例ごとにケアの判断が点数でわかる』、『認知症ケア新常識―「食べない」「入浴しない」「眠らない」へのアプローチ』(ともに日総研出版)等、認知症関連の著作多数。土曜は特に予定を決めず過ごし、日曜はウオーキングをかねたゴルフを楽しむ。
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