田中力

珠藻荘副施設長
田中力
まずは、20年におよぶ珠藻荘での思い出を教えてください。
珠藻荘への入所が決まったときは「収容される」というイメージでした。当時、障がい者向け施設は一般にそういうイメージだったんです。けれど、実際は違いました。珠藻荘はほかの施設に先駆けて障がい者の自立を掲げていて、リハビリ室もあった。さらに、(山本孝之)理事長からはこんな言葉をかけられました。「田中君は重度の障がいを負って今は不幸な気持ちでいっぱいだと思うけれど、君は幸せになる権利を持っているんだよ。私たち職員は田中君の幸せを実現するために全力を出すから、君もがんばりなさい」。
「幸せを実現するために全力を出す」という理事長の言葉は本当でした。珠藻荘に入所して9年目くらいに、自動車運転免許をとろうと思って理事長や職員に話をしたら、「田中君ががんばれるならやりなさい」と言ってくれたんです。
運転を学ぶのは想像以上に大変で、教習所の教官からは、「君には運転は無理だ。考え直したほうがいい」とダメ出しの連続。それでも、教習所に通うのは私の権利だし、何より、送迎などをサポートしてくれる人たちのために合格したいと思い、結局、1年半かけて取得したんです。入所中の重度障がい者が自動車の教習所に通って、免許をとって、休日は自分で購入した車を運転して出かけるなんて、全国でも例がないのではないでしょうか。

2003年に珠藻荘の副施設長に就任されました。
副施設長になることが決まったとき、理事長に「田中君は利用者の意見を聞きなさい。たとえほかの職員が反対しても、最後まで利用者の立場に立ってものごとを決めなさい。それが君の役割だよ」と言われました。私自身もそれが自分の役割だと思って、自分ができることをやっているつもりです。たとえば、ある障がい者の方が、「アミューズメントパークに1泊2日で旅行してみたい。でも無理かなあ」と話していたので、私の経験を交えていろいろとアドバイスをしました。そして後日、その方は本当に旅行に行かれたんです。そんな風に誰かの役に立てたときや、ほかの障がい者の方が私の姿を見て「私も自立できるかもしれない」と思ってもらえたときに、「自分の存在意義というのはこういうところにあるんだなあ」と嬉しく思います。
障がい者の方にとって「自立」とは何でしょうか?
自立の形は人それぞれ違っていて、独居できる=自立、ではないと思うんです。珠藻荘に入所されているある方は言葉が話せません。でも、毎朝、職員に会うたびに手を上げて笑顔であいさつしてくれます。それを見ると職員はすごく癒されるんですね。笑顔であいさつをして人を温かい気持ちにする。これが、その方にとっての自立なのではないかと私は思うのです。つまり、自分ができることを実行するのが「自立」で、これは障がい者も健常者も同じではないでしょうか。これからも、同じ障がい者として、障がい者の方の自立の支援をしていくつもりです。また、障がい者についての発信も、もっともっと行っていきたいと思っています。
2002年、40才で珠藻荘を退所されます。退所を決意された理由は?
車の免許を取得できたことは、私にとって大きな自信になりました。その頃から一人暮らしを考えるようになったんです。そこで、職員に相談して福祉村内にある障がい者専用の住まいに移らせてもらい、独居に向けての準備を進めました。ただ、24時間365日介護を受けられる施設に20年も暮らしていたわけですから、どれだけ準備しても不安はずっとありました。ただ、その一方で、こうも思っていました。「大丈夫。何かあれば福祉村がある」と。福祉村から遠く離れた土地で暮らすのであれば自立は不可能だったでしょう。でも、福祉村という安心材料が私にはあった。おかげで一歩踏み出せたんです。退所してからは一人暮らしをしつつ、ピアカウンセラー(※)として活動していました。
※ピアカウンセラー…障がいを持つ当事者が、同じく障がいを持つ方が自立できるようアドバイスやサポートを行う。
