井川襄

明日香施設長
井川襄
まずは、福祉村と関わり始めたきっかけを教えてください。
私はもともと豊橋市の社会福祉協議会(以下、社協)に勤務していました。そこにある日、山本孝之先生(現:理事長)が「一人暮らしの老人に給食を届けたいから協力してくれないか」と依頼に来られたんです。今でこそ、一人暮らしの老人に食事を届けるサービスは珍しくありませんが、40年前はそうではなく、先生の申し出にはかなり戸惑いました。ただ、先生が「費用は自分たちで負担するし、調理も私たちが経営しているさわらび荘でやるから」と大変熱心だったのもあり、協力して行うことになったのです。それから5年ほど経った頃、社協を退職し、当時できたばかりの「あかね荘」(障がい者支援施設)で働くようになりました。
その後、2005年に60才で定年を迎えるまで福祉村で働き、2016年に戻ってきました。今は、障がい者の方に箱折りや焼き菓子製造、クリーニング作業などの生産活動の機会を提供する障害福祉サービス事業所「明日香」の施設長をしております。

井川さんが考える「福祉」とは?
私が家で妻とけんかして、イライラした気分のまま「明日香」に来ると、通所している障がい者の皆さんにすぐに伝わってしまうんですよ。ですから、「福祉は自分の生き方を映す鏡だなあ」とつくづくと感じています。また、福祉は人間の幸せを追求する手段でもあります。ここ福祉村も、皆さんが幸せになれるお手伝いをするための場所でありたいと思っています。
今後、福祉村として取り組んでみたいことはありますか?
2016年に再び福祉村に戻ってきて、障がい者の方の障がいの重度化、本人と保護者の方の高齢化を目の当たりにし、「今後、福祉村が取り組むべき課題はこれだ!」と思いました。
福祉村ではすでに、「あかね荘」で暮らす障がい者が、日中は「明日香」で作業して賃金を得る、という具合に各施設の連携を行ってはいます。けれど、もっと連携を強化しなければ、障がい者の方の高齢化・重度化に対応できません。そこで、山本左近本部長に相談したところ、福祉村内にある軽費老人ホーム「若菜荘」に障がい者の方用の部屋を確保してくださったのです。軽費老人ホームなので、障がい者の方も、年金と日中の作業で得られる賃金とで費用をまかなえます。本部長が障がい者の保護者の方にこの話を伝えたところ、皆さん涙を流して喜んでくださいました。とても安心されたのでしょう。本部長とは「せっかく縁があって福祉村でお世話させていただくのだから、ここで人生をまっとうしてもらえるような場所にしたいね」と話しています。ぜひ、それを実現していきたいですね。
井川さんから見て、理事長はどんな人ですか?
「まだ誰もやっていないことを考えて実行できる、すごい先生が現れたな」。これが最初の印象でした。
先生が給食サービスを始めたときも、福祉村建設計画を発表したときも、「一介の病院長が大きなことを言って……」「本当にできるの?」という反応がほとんどでした。在宅福祉サービスを開始したときも苦労の連続です。福祉村内の施設のお風呂を使った入浴サービスや、施設の空きベッドを利用したショートステイなど、積極的に在宅福祉サービスを展開したところ、行政や業界からかなりの批判を受けました。「施設利用者以外のサービスのために金を使うのはけしからん」というんですね。1980年代の地域福祉という考えが広がっていない時代ですから、こうした反応のほうが普通でした。
でも、先生はどんなときも毅然として批判に立ち向かい、理念を決して曲げませんでした。そして、実際にこうして福祉村を実現されたわけですから、本当にすごいですよね。
また、先生はいつだって勉強熱心なんです。社協が手話講習会を主催した際は、忙しい合間を縫って、奥様(山本ゆかり専務理事)と二人で欠かさず通っていらしたのをよく覚えています。
