橋詰良夫
橋詰良夫
神経病理研究所で働くようになられた経緯を教えてください。
私はもともと神経内科の医師でした。神経内科は、脳や脊髄、神経、筋肉の病気を対象とします。若い時に神経内科医として担当していた患者さんがお亡くなりになり、病理解剖のご許可を得て解剖しました。その患者さんの診断は脳底動脈閉塞症であったのですが、病理の先生からは納得のいく結果の説明をもらえませんでした。このとき思ったんです。「病理解剖を他人に任せていてはだめだ。自分が診た患者さんの病理解剖は自分でやろう」と。これがきっかけで、病理学の研究と病理解剖の道に進むことになりました。
その後、名市大、名大の病理学教室を経て、愛知医科大学加齢科学研究所で神経病理学の研究をするかたわら、福祉村病院でも病理解剖にも関わるようになりました。こちらに入職したのは2010年です。神経病理研究所は、私の愛知医大の定年をきっかけに山本理事長が創設してくださったんですよ。看板も理事長が作ってくれて、入職当日には「橋詰先生、これでいいですか?」と掛けてくれて。とてもうれしかったですね。
有名な、ぎんさんの病理解剖を担当されたとのことですが。
そうですね。ご長寿で話題となった双子姉妹のきんさん(成田きんさん)、ぎんさん(蟹江ぎんさん)の、ぎんさんの脳の病理検査を担当しました。当時、私は南生協病院で亡くなった患者さんの脳を調べさせていただいておりました。。その南生協病院にぎんさんも入院されていて、亡くなったときに名誉院長の室生昇医師がご家族に承諾を得て、病理医の棚橋千里先生と一緒に解剖をさせていただきました。。
ぎんさんは108歳で亡くなりましたが、亡くなる3年ほど前から認知症の症状が出ていました。とはいえ、ぎんさんの脳はとてもきれいな状態でしたよ。血管もきれいで、動脈硬化もなく脳梗塞の痕跡もない。100歳まで生きる方には、中年から老年期に癌や心筋梗塞、脳梗塞など大きな病気になったことがない、という共通点があります。そして、血管がきれいなんですね。ぎんさんはまさにその見本のようでした。遺伝的な要素ももちろんありますが、若い頃から生活習慣を良好に保ち、動脈硬化や高血圧にならないようコントロールする。そうすれば脳の血管への負担も減り、脳卒中にもなりにくくなる。ぎんさんのように健康で長生きされたいと願うなら、ぜひ、この点を心がけてほしいですね。
福祉村病院がより発展するためには何が必要でしょうか?
認知症患者さんがこれだけ多く入院されている認知症専門病院は、そう多くありません。加えて、ご家族のご理解を得て年間20~30例の病理解剖を自前で行い、毎月、臨床病理検討会を開いて医師たちがディスカッションしている。そんな施設は全国的に見ても稀で、民間の病院が剖検脳を保存する「ブレインバンク」を運営しているというのも、大変珍しいことです。ここ福祉村病院は、認知症に対してその予防、早期診断、介護・看護から基礎研究まで行っている、希有な施設だと思います。
福祉村病院に入院している患者さんたちは、戦後の日本の発展を支えてこられた方々です。私たちは、このような方々の尊厳を守り、健やかで穏やかな生活を送れるようサポートしなければいけません。そのためには、最新の認知症医療を提供できるようにスタッフの充実と、快適に入院でき、また施設のスタッフが心を込めて働ける環境を作ることも重要です。これからも日本一の認知症専門病院を目指して、診療と研究を地道に続けていきたいと思います。
福祉村病院での現在のお仕事内容について教えてください。
仕事は大きく2つあります。1つは、福祉村病院に入院されている認知症の患者さんの診療。そしてもう1つが、先ほどお話しした病理解剖です。
認知症は、よく知られているアルツハイマー型のほかにも、レビー小体型認知症や脳血管障害性認知症、進行性核上性麻痺、嗜銀性顆粒認知症など数多くのタイプがあります。医師は患者さんの様子や各種の検査結果をもとに、その患者さんがどのタイプの認知症なのかを診断するわけですが、実は、病理解剖して脳を調べるまで正確なところはわからないことが多いですね。診断は妥当だったのか。治療は適切だったのか。本当の死因は何だったのか。解剖して初めて判明することがたくさんあります。病理解剖なくして、診療内容の向上はありえないのです。
私が担当している患者さんのご家族には、こうした病理解剖の意義について患者さんが亡くなった後にご説明します。生前における信頼関係が結べていないとなかなか理解を得るのは難しいものですが、私の病棟では6割から7割近くのご遺族が病理解剖に理解を示してくださいます。