松川則之

認知症という病気だけを見つめてはいけない見るべきは患者さんの人生です
名古屋市立大学神経内科教授
まつかわ・のりゆき

松川則之

認知症の治療薬を開発すべく研究を進めておられる名古屋市立大学・神経内科の松川教授はかつて、福祉村病院内にある「長寿医学研究所/神経病理研究所」(以下、長寿医学研究所)で剖検・基礎研究に携わっていました。このような研究施設があるのは、民間病院ではとても珍しいことなのです。認知症研究の最前線にいながら、現在は週1日、福祉村病院で外来も担当されている松川教授に、福祉村への思いを伺いました。

福祉村病院で研究を始めたきっかけを教えてください。

私の恩師である小鹿幸生先生は、さわらび会の山本ゆかり専務のお兄さんでいらっしゃる岡田秀親先生と交流がありました。その関係で、福祉村病院で働くようになったんです。1994年から4年間、日中は認知症の患者さんの診療をし、診療後は、長寿医学研究所で基礎研究を中心とした認知症の研究を行っていました。

当時「認知症は治らない」という考えが一般的でした。そんななか、認知症のリハビリに取り組んでいた福祉村病院は異色の存在。世間からの風当たりはかなり強かったように思います。私自身、医療関係者との会合などで「福祉村病院の松川です」と自己紹介すると、「認知症のリハビリなんかやっているあの病院の!」と揶揄されたりしてね。でも今、認知症におけるリハビリの有効性は科学的に証明されています。理事長先生のお考えは、四半世紀先を行っていたわけです。またこの間に、大きな期待のもとに日本企業が開発した認知症薬が登場し、現在も根本治療の可能性が考えられています。私も、認知症病態の解明と認知症薬開発を目指して、福祉村病院時代の研究を現在も継続しています。

火曜日の午前中は、福祉村病院で外来を担当。「直に患者さんと接する」ことを大切にする姿勢は、教授になってからも変わらない。

福祉村病院での4年間を通じて学んだことは何でしょうか。

認知症という「病気」だけを見ていてもだめだ、ということです。たとえば、私が所属している大学病院では、認知症の社会的啓蒙活動、臨床診断・治療、基礎的・臨床的研究や薬の開発研究などを行っています。健康な高齢者、認知症とは呼べない軽度の認知機能障害や初期の認知症患者さんを診察・診断・治療する機会が主です。これは認知症診療の一部分をみているにすぎません。一方で、福祉村病院での認知症診療は、進行して家庭を中心とした生活が困難になりつつある患者さんの診療・対応です。認知症の症状は、家族関係や精神的なストレスといった病気以外の影響も大きい。診察室での症状・状態だけでは、実際の生活の場での困難感は判断できないことも多くあります。また、同じ現象も本人・家族によってとらえ方・困難感も異なり、個人個人で価値観や望まれる生活スタイルも違います。だから、「この患者さんはどういう人生経験をしていたのだろう。どんな考え方を持っているのだろう」という部分まで踏み込んで考える必要があります。そのうえで、「その人の人生の中で認知症という病気をどのように落とし込むべきか。どう対応するべき」を考えないといけない。そこまでしてようやく、本当の意味で「治療した」といえるのだと思います。根本的治療法がない現状において、「人としての尊厳」を念頭に入れた認知症診療が大切であることを福祉村病院時代に学びました。

私は福祉村病院で4年間、基礎研究・剖検をするかたわら、たくさんの認知症患者さんと直に接してきました。その経験は私の財産です。

福祉村がより発展していくためには何が必要だと思われますか?

福祉村は、「互助」を本当の意味で実現しているすばらしい場所であり、非常に価値がある施設です。ただ、敢えて提言させていただくとしたら、認知症の啓蒙・予防・早期発見の分野については、強化の余地があるかもしれません。すでに「認知症予防脳ドック」を実施されていますが、認知症発症前の高齢者の方や、認知症の恐れがある高齢者の方も広くカバーできたら、地域のみなさんはとても心強いと思うんです。理事長先生が世界に先駆けて考案され、現在科学的にも証明されつつある「認知症予防・進行予防」を目指した認知リハビリテーションの普及を介して、高齢者医療に更に貢献できる分野はあるように思います。

私は今、認知症の薬を開発する研究を行っています。一方で、週に一度、福祉村病院で外来も担当させてもらっています。外来を担当している理由は二つあって、一つは、福祉村病院で学ばせてもらった恩返しを少しでもしたいから。そしてもう一つは、認知症治療に携わる医師として、大学病院では見られない認知症の臨床現場を知っておきたいから。これからも福祉村病院とともに、認知症をはじめとする神経内科の疾患に悩む患者さんをサポートしていければと思っています。

福祉村病院での勤務時代、
印象に残っている出来事はありますか?

たくさんあります。なかでも、相互扶助を可能とする仕組みにはとても感銘を受けました。たとえば福祉村には、入院患者さんのオムツを洗うクリーニング工場があって、そこでは障がいを持った方が働いて賃金を得ています。お年寄りも、障がいを持った方も、誰かの役に立ってやりがいを感じられる環境がここにはある。こうした互助の取り組みは本当にすばらしい。社会にもっと広がってほしいと思っています。

また、認知症を発症した患者さんの献体脳を保存する「ブレインバンク」の存在にも衝撃を受けました。認知症を解明して治療法を確立するには、認知症を発症した脳の剖検が欠かせません。ただ、臨床情報を基に剖検ができて、ブレインバンク化して世界中の多くの研究者に貴重な脳を提供できる環境が整っている病院はまれ。私が知る限り、国内には福祉村病院を含め3つくらいしかないのではないでしょうか。福祉村病院は、認知症を中心とした老年医学において、臨床だけでなく基礎医学でも大きく貢献しているんです。

松川教授による講義風景。福祉村病院に勤める看護師さんに向けた学びの場として開かれた。
松川則之(まつかわ・のりゆき)名古屋市立大学・神経内科教授、名古屋市立大学病院・神経内科部長。1994~1998年まで福祉村病院にて勤務。現在は火曜の午前中の外来を担当。週末は趣味のゴルフや、奥様に代わって料理作りを楽しむ。
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