長坂敏幸

長坂敏幸

もともとは福祉村病院で痴呆療法士として働かれていたそうですね。
さわらびグループに入職してから7年間、痴呆療法士として働いていました。痴呆療法士は、認知症患者さんのリハビリを行うために設けられた、さわらびグループ独自の職制です。医療資格ではないので行動が制限される場面もあり、歯がゆい思いをしたこともあります。けれど、それ以上にやりがいがありました。認知症の方ばかりですので、私のことを覚えていないと思っていた患者さんが、ある日私の名前を呼んでくれたりするんです。そんな瞬間に立ち会えたときは本当にうれしかったですね。
また、認知症の方と接する仕事は、ウソをつかなくていい仕事なんです。患者さんは何事もすぐに忘れてしまうかもしれない。でも、向き合っている時間は患者さんも私も本気です。だから、その刹那がとても大切なものになります。仕事によっては、ノルマや目標を達成するために、自分にも相手にもウソをつかなくてはいけないときがあるでしょう。でも、この仕事にはそれがありません。だからこそ、高齢者を支える仕事をここまで続けてこられたのかなとも思います。

理事長に言われた、印象に残っている言葉はありますか?
今もおっしゃっていますが、当時から「困った人がいたら手を差し伸べなさい」と話されていました。「時代が変われば認知症に対する捉え方や考え方も変わるから、時代に遅れてはいけない。移り行く時代をちゃんと見極めていきなさい」ともよく言われていましたね。
その後、「さわらび荘」の生活相談員、「第二さわらび荘」の副施設長を経て、2016年に「フェリス福祉村」の施設長に就任されました。仕事をするうえで心がけていることを教えてください。
利用者さまやご家族さま、あるいは入居を検討されている方からの相談にのり、適切な対応をとる。それが今まで相談員として、そして今でも行っている主な仕事です。相談を受ける際に心がけているのは、「まず共感する」ということでしょうか。おみえになる方々は様々な思いや考え方をお持ちですので、最初にお話をじっくり伺って、それを受け止める。それから、施設の入居条件や介護制度などについて説明するようにしています。
もう1つ、相談を受けたその場で、解決策なりご提案なりをできる限りお伝えできるよう心がけています。「入居の対象外なので当施設への入居はできません」とお断りするのは簡単です。ただ、縁あってさわらびグループに相談に来て下さった方に対して、その対応はあまりに寂しいじゃないですか。ですから、「さわらびグループには他にもいろいろ施設があって、そちらなら対応できると思います」「△△の制度を利用したらどうでしょうか」という具合に、何かひとつ、望みの綱をつないで差し上げられる方法を提示できればと思っています。
何が幸せなのか、感じ方は人によって違います。だとしたら、福祉とは、その人その人に合った幸せへの道しるべをつくることではないか。そんなことを考えながら、日々、仕事に取り組んでいます。
痴呆療法士が所属する部署は山本理事長の直轄だったと伺っています。当時の理事長のイメージは?
私が入職した時代は、認知症は痴呆症と呼ばれ、一度発症したら改善しないものと考えられていました。そんな時代にもかかわらず理事長は痴呆療法士を考案し、病棟に配置して、認知症患者さんのリハビリに取り組まれた。本当にすごい方だと尊敬しています。
あの頃、理事長と痴呆療法士とで週1回ミーティングを行っていたんですよ。ミーティングでは毎回、理事長の熱量と知識量に圧倒されっぱなし。今でこそ理事長はとても温和ですけど、当時はなかなか……(笑)。私もまだ若かったので、理事長の発言を理解し、さらにはこちらの考えをどうにかして伝えたい一心で、図書館を回って認知症や医療の本を読んだり、当時いらっしゃった老年科の先生に話を聞いたりしたものです。
それでもやはり、先生にはまったくかないません。そこで、あるとき、どうやって知識を得ているのかと聞いてみたんです。そうしたら、ずらずらっと大量の書名を挙げられて。当時の理事長は、医療関係の専門書だけでなく、週刊誌も新聞も全紙読まれていました。医師として多くの患者さんに接し、さらには、医療法人と社会福祉法人を運営しながらですよ! あまりの多さにびっくりして、「とても太刀打ちできないなあ」と思ったのを今でもよく覚えています。
